男のコラム

毎週火曜日更新

このコラムは、タケタリーノ山口が己の魂の叫びを2003年に書いていたものです

第34回

俺は礼儀正しい男になりたい。
日々、そんな理想を目指し精進している。
礼儀正しくするというのは、当然といえば当然の事だ。
「親しき仲にも礼儀あり」
なんて言葉もある程、人は礼儀を重んじている。
しかし、一言に礼儀といっても、様々な種類があるからややこしい。
会社付き合いの礼儀、先輩後輩の礼儀、その場の空気に合わせる礼儀。
数え上げればきりがなく、礼儀作法の為の礼儀、礼儀の為の礼儀、礼儀的な礼儀にまで発展する。
そして、あまりにも礼儀正しい人間を見ると、逆にうさん臭さを感じてしまう事さえある。
実際、何回も会っているのに、いつまでも礼儀正しくしていると、垣根を越えられず、中に踏み込んでくるなよ的な空気まで作ってしまう。
ただ、俺が目指しているのは、そんな難しい事ではなく、あたり前の
「はい」「いいえ」「ありがとう」「ごめんなさい」
など、素直な直感で感じる事のできる言葉を、相手に伝えるというそんな礼儀だ。
ところが、理想に近付き、礼儀正しくすればする程、礼儀正しくない人間に対して、俺はとてつもなく器の小さい人間になってしまった。
コンビニで店員に、
「肉まんを下さい」
と言ったら、返事もせず作業をしているので、
「おい、聞いてんのかコラ」
と脅した。
吉野家に行ったら、いらっしゃいませも言われなかったから
「おい、見えてねーのかコラ」
とテーブルを叩いた。
電車でおばあちゃんに席を譲ろうと立ち上がったのに、シカトした為、
「おい、ボケてんじゃねーぞ、ババア」
と腕を掴んで投げ捨てるように座らせた。
とにかく、イライラしてしまうのだ。
礼儀ができない人間に対して、これでもかという程冷たくなってしまったのだ。
考えてみると、礼儀正しい人間に限って、礼儀ができてない人間を早々に見限る傾向にある。
社会に出ると、それを教えられ、礼儀だけで自分という人間を判断されないように礼儀を学ぶ。
学ぶという事は、心の底から沸き上がり自然と出てくる礼儀ではなく、あくまで形式上の礼儀って事だ。
そう、世の中、そういううわべだけの礼儀が多すぎる。
もしかしたら本当に礼儀正しい人間というのは、礼儀だけで人を判断しない人間の事をいうのかもしれない。
とりあえず、今回のこのコラムを読んでくれた人達に、ありがとうとうわべだけの礼を言いたい。