男のコラム

毎週火曜日更新

このコラムは、タケタリーノ山口が己の魂の叫びを2003年に書いていたものです

第33回

俺は人の目を見て話しをするのが苦手だ。
もちろん、人と話しをする時は、相手の目を見て話しをするのが礼儀だというのは分かっている。
しかし、まともに目と目が合うと、いつまばたきをしたらいいかばかり考えてしまう。
相手の人がまばたきをした直後にまばたきをすると、真似していると思われるかもとか、逆に相手の人がまばたきをしそうな直前に先に瞬きをするのも対抗意識を燃やしていると思われるかもとか。
とにかく、まばたきに集中して話しに集中ができない。
逆に話しを聞いていない失礼な奴になっちまう。
中学校の時、やたら目を合わせて話してくる奴がいたから、
「人の目を見て話すなんて、話しに集中してねぇ証拠だ」
と怒鳴り散らしてやった程だ。
もちろん、その時もまったく目を合わせないで怒鳴ってやった。
だから、そいつが聞いてたのか聞いてなかったのかは知る事はできなかった。
しかし、大人になり社会生活をする上で、人の目を見て話しをするというのは、とても大事な事だと思い始めた。
ところが、今まで人の目を見て話しをする事を否としてきた”人の目を見て話す童貞”の俺にとって、今更何を言ってやがるという気恥ずかしさが出てきてしまったのだ。
分かりやすくいうと、気心の知れた彼女と居酒屋デートばかりしてたのに、招待券を貰って高級レストランに行き、フォークとナイフを使って食べるというそんな気恥ずかしい照れてしまうような感覚だ。
そう、俺は人の目を見て話しをするのが、恥ずかしくなっていたのだ。
俺は、そんな状況を打開する為、色いろな人達の様々なアドバイスを聞いた。
目を見て話すのが恥ずかしければ、おでこ、鼻、あごなど、目に近い部分を見るという事だった。
しかし、まばたきが気になって話しに集中できなくなってしまう俺にとって、おでこ、鼻、あごなどは、その色ツヤ、形、油分、毛穴と、気になる事の宝庫だ。
話のおもちゃ箱だ。
話しに集中できる訳がない。
それ以前の問題だ。
俺は思った。
こんな事なら、みんなのっぺらぼうなら話しやすいのにと。
もし、いつかどこかで、俺が人と礼儀正しく話している姿を見かけたら、俺は、その時、その相手の事をのっぺらぼうだと思って話している。