男のコラム

毎週火曜日更新

このコラムは、タケタリーノ山口が己の魂の叫びを2003年に書いていたものです

第5回

最近、写真を撮る時のポーズに、やたら悩む。
今更、ピースサインってのも、
「もう十分撮っただろ!まだ、そのポーズやり足らねーか?」
って思うし、かと言って、何もポーズを取らずツッ立ってるつーのも
「写真撮らなきゃいいじゃねーかよ!」
って話だし。
だから結局、拳を握ったり、変な顔をしたり、ほとんど毎回同じポーズで写ってる。
で、俺にとって、それが悩みの種だ。
あとから、そんなポーズをしたかったか?って自問自答すると、答えはNOだ。
わざわざ写真に撮られる為に、しかたなく取ったポーズ。
それが永遠に記録として残ってしまう。
未来の自分が見たら、過去の自分はなんてポリシーの無いポーズを取ってるんだと嘆き悲しむだろう。
だから俺は、本当に自分がしたいポーズ、未来の自分が見ても、納得できるポーズがしたい。
写真の目的は、未来の自分に見せる為の物だから、今の自分は全く納得しなくても良いポーズ。
それは一体どんなポーズなんだ?
そんな事を考えてたら、写真を撮るという事に疑問を感じてきた。
だいたい写真って不思議だ。
「今、楽しんでますよ~」
っていうのを演じてる。本当に楽しかったら写真撮ってる場合じゃないはず。
しかも、あとで見ると、こいつとこんなに仲良かったっけ?って奴と肩組んでたりするし。
小学校低学年の頃の写真を見ると、何人か知らない奴が混じってるのもあるし。
赤ちゃんの頃なんて、ほぼ知らない人で脇を固められてるのさえある。
そんな写真を見ると、俺が写ってない方が、丸く治まるんじゃねーかと思ってしまう。
曖昧な記憶と、記録として残っている現実を重なり合わせ、また新しい現実を創り出してしまう。
そして、未来の自分が納得するポーズというポーズを、ポーズを取っている坊主の俺が、また悩んでいる。